NPO法人 堀川まちネット 川口理事長インタビュー
- 2015/06/18
- 15:35

継続していくための知恵と工夫その一つが後継者づくり
『堀川まちネット』をご存知のない方も少なくないと思いますので、我々の活動の中心となっている4本柱について簡単にご説明します。1番目が、熱田の歴史や文化を伝えるミニコミ紙「あつたっ子」の発行です。2番目が、「熱田天王祭」を復活させ、残していく「堀川まつり実行委員会」。3番目が堀川の清掃を通して“水辺の環境を良くする”活動。4番目、これは最近のことですが、旧魚半別邸を我々の拠点にしたことから「古民家の活用」、具体的には“どのようにして残していくか”という方法を探っています。
比較的早くから学童イベントに参加したり、青年の家講座や生涯学習センター講座への協力、あるいは〔祭りやまちづくり〕を行う後進の育成にも取り組んできたことから、“ちょっと毛色の変わった活動をする団体”と言われることもあります。これは、1990年に第1回「堀川まつり」を実施したとき、“「熱田天王祭」はなぜ消滅したのか”“復活した祭りを50年、100年先へと残していくためには何が必要か”ということに真正面から向き合わざるを得なかったからです。その結論として、「継続と後継者づくり」が一体となりました。
“あれをやりたい”“こんな活動をしたい”ということから、色々な団体が発足しますが、その多くが短期間で尻すぼみになっていく現実を見てきました。なぜかと言えば、大半が自己満足で終わっているからです。各地に残っているお祭りにしてもそうですが、そこには「継続させていく知恵と工夫」があります。祭りをする人だけで、祭りはできません。祭りを愛し、祭りを見に集まってくる人たちの応援、祭りを支える“まち”の存在など、色々な要素が整って、初めて成立するものです。それを考えると、どんな活動にしても自己満足だけでやっていては、とても続くものでありません。
一つ一つのことに真剣に向き合うと新しい変化というご褒美がやって来る
1985年に「あつたっ子」を創刊していますから、我々の活動も30年となります。先ほど、“継続していく知恵と工夫”などと言いましたが、30年間を振り返ってみれば、知恵と工夫よりも“運が良かった”の一言です。活動がマンネリになりそうになると、必ず新しい出会いや出来事があり、その刺激を受けて成長・発展を続けることができました。
ミニコミ紙を発行している時に、熱田天王祭を復活したいというグループが加わり、5年後の1990年に第1回「堀川まつり」が始まりました。堀川まつりを続けていく中で、1995年には博多の祭りを学習することで“まちづくりと一体となった祭り”という新たな発想が加わりました。1999年には“祭りの場である堀川をきれいに”と「堀川一斉大そうじ」が始まり、2004年には任意団体からNPO 法人へと変わりました。最近では、2013年に現在の旧魚半別邸に事務所を移転したことで、「古民家の活用」という新たな活動が加わっています。
この間にも沢山の出会いや出来事があって、現在の我々があるわけですが、いずれも最初から意図したものではありません。その意味で、“運が良かった”ということです。ただ、我々も座して待っていたわけではなく、すべてのことに一所懸命に取り組んできました。それが“新しい変化と広がり”という、ご褒美につながっているのだと思います。

偶然のきっかけでなったNPO法人 内にも外にも大きなインパクトが
メンバーの中に情報の先取りに長けた人がいて、NPO化を提案されました。2年間ほど議論を重ねましたが、NPOになると面倒なことが多いと二の足を踏む人もあり、結論が出ませんでした。そうした中、補助金を出すという団体にお話を聞きに行き、NPOの検討中と説明したところ“NPO法人なら補助金を出します”と言われました。これが決め手となって、2004年にNPO法人となったわけです。
最初は、それほど実感がなかったのですが、名古屋開府400年の時、名古屋城のお堀にまきわら船を浮かべる企画を名古屋市から持ち込まれるなど、“公的な評価”が高いことが分かりました。これを受けて、我々も“信頼される団体”という認識が深まり、色々な面で成長していきました。内部的にも、大きな影響がもたらされたNPO法人化でした。
子ども時代は汚くて臭い堀川 きれいな川の思い出づくりに
私の子ども時代の堀川は、ガスが発生する汚くて臭い川というイメージしかありません。でも、そんな堀川にまきわら船が浮かんでいました。それが貴重な思い出となって、祭りを復活させる活動に参加することになりました。
幸い、今のお子さんたちには“まきわら船が浮かぶ堀川”のノスタルジーを残すことができました。未来の子どもたちには“きれいな水の堀川に、まきわら船が浮かんでいた”という、もっと美しい風景をプレゼントしたいと欲張っています。
100年間かかって汚されていった堀川、子ども時代から比べれば格段に良くなってきていますが、まだまだ“きれいな川”と呼べるほどではありません。100年かけてきれいにするといったノンビリとした歩みではなく、あと20年か30年先には、その夢が実現されたらと願っています。