堀川マニアックスポット 橋の下シリーズ 橋マニア必見!
- 2014/04/23
- 16:13
今日は、先日の堀川一斉清掃で船上から撮影した堀川のマニアックスポットをご紹介したいと思います。
構造物好きの方は必見です。
道路からはあまり見ることのできない、船上から撮影した「橋の下」の風景です。
(興味ない人すみません)
さぁ、そこでマニアッククイズです。(答えは末尾)
(*写真が小さい!という方は、写真を直接クリックしていただければ拡大されますよ!)
①

橋げたはこんな古いレンガで現在も使っています。時代を感じますね。

お!これは結構なヒントですね。

人をたくさん乗せて走る「アレ」が通る構造ですね?


さぁ、①はどこだったかわかりましたか?
さぁ、次の問題です
②

複雑な構造がみえますね。
鋼アーチ橋ですね?

さぁ、どこでしょうか?
ちょっと難しいかな?
さぁ、最後の問題です。
③

昼間でも橋の下は薄暗いですね、、、。

橋の下に煉瓦の壁(?)があります。不思議な風景です。

ちょっと遠目から。
さぁ、マニアック構造物クイズ。
わかりましたか?
【答え】
①中央本線・名鉄名古屋本線・東海道本線高架(堀川橋梁)
形式:上路鋼桁橋
架設年次:国鉄東海道線(現:東海道本線) 昭和12年(上り)昭和40年(下り)
国鉄中央線(現:中央本線) 昭和19年(上り)昭和35年(下り)
名鉄本線 昭和19年
②住吉橋

橋長:30.4m
幅員:24.5m
形式:鋼アーチ橋とRCアーチ橋の混合
架設年次:昭和4年
中川区柳川町と熱田区新尾頭の間に架り、上記問題の写真にはありませんが鋼アーチの左右にRCアーチがあり合わせて 三つのアーチが連なっています。
この橋のある名古屋南部は、昭和10年代に軍事工業色の強い工業地帯として発展してきました。
これに伴って沢上・新尾頭・八熊と結ぶ東西の道路が拡張整備され、堀川をまたぐところにこの橋が架けられました。
住吉橋の東に住吉神社があります。藩政時代、堀川沿いの廻船問屋・水主などが中心となって大阪の住吉神社から
招聘してこの地に社を造営したそうです。
そうです。「住吉」という名前はあの住吉神社からきたものではないかと言われています。
③山王橋

中川区山王町と松原町の間に架る橋です。
橋の長さ:30m、幅員:49.2m
型式:鋼板桁橋・PC桁橋(拡幅部)
架設年次:昭和33年・昭和56年(拡幅部)
山王橋は旧地名の下堀川町・正木町と西古渡の間に架けられた橋です。明治34年(1901年)の創設で
大正3年(1914年)、昭和33年(1958年)に改築され、同56年(1981年)に拡幅され今日の
姿となっています。
藩政時代、日置橋から古渡橋にかけての地域は東岸は大道寺玄藩をはじめ尾張藩の重臣の屋敷や控地が連なり
その間に材木置き場がおかれていました。
また西岸には竹腰家の蔵屋敷など、これも重臣の控屋敷のあった地域であったそうです。
このため明治になると空地が多かったこともあって、白鳥貯木場の入札による材木の払い下げが行われるようになり
この地域が木曽材取引の中心なっていきました。川岸は材木の集積場となり、それにつれて製材工場が立ち並び
製材・製函工場が盛んに立てられました。
またマニアアックポイントを集めたら第2弾を掲載します!!
@堀川まちづくりの会事務局(河川計画課:松本)
構造物好きの方は必見です。
道路からはあまり見ることのできない、船上から撮影した「橋の下」の風景です。
(興味ない人すみません)
さぁ、そこでマニアッククイズです。(答えは末尾)
(*写真が小さい!という方は、写真を直接クリックしていただければ拡大されますよ!)
①

橋げたはこんな古いレンガで現在も使っています。時代を感じますね。

お!これは結構なヒントですね。

人をたくさん乗せて走る「アレ」が通る構造ですね?


さぁ、①はどこだったかわかりましたか?
さぁ、次の問題です
②

複雑な構造がみえますね。
鋼アーチ橋ですね?

さぁ、どこでしょうか?
ちょっと難しいかな?
さぁ、最後の問題です。
③

昼間でも橋の下は薄暗いですね、、、。

橋の下に煉瓦の壁(?)があります。不思議な風景です。

ちょっと遠目から。
さぁ、マニアック構造物クイズ。
わかりましたか?
【答え】
①中央本線・名鉄名古屋本線・東海道本線高架(堀川橋梁)
形式:上路鋼桁橋
架設年次:国鉄東海道線(現:東海道本線) 昭和12年(上り)昭和40年(下り)
国鉄中央線(現:中央本線) 昭和19年(上り)昭和35年(下り)
名鉄本線 昭和19年
②住吉橋

橋長:30.4m
幅員:24.5m
形式:鋼アーチ橋とRCアーチ橋の混合
架設年次:昭和4年
中川区柳川町と熱田区新尾頭の間に架り、上記問題の写真にはありませんが鋼アーチの左右にRCアーチがあり合わせて 三つのアーチが連なっています。
この橋のある名古屋南部は、昭和10年代に軍事工業色の強い工業地帯として発展してきました。
これに伴って沢上・新尾頭・八熊と結ぶ東西の道路が拡張整備され、堀川をまたぐところにこの橋が架けられました。
住吉橋の東に住吉神社があります。藩政時代、堀川沿いの廻船問屋・水主などが中心となって大阪の住吉神社から
招聘してこの地に社を造営したそうです。
そうです。「住吉」という名前はあの住吉神社からきたものではないかと言われています。
③山王橋

中川区山王町と松原町の間に架る橋です。
橋の長さ:30m、幅員:49.2m
型式:鋼板桁橋・PC桁橋(拡幅部)
架設年次:昭和33年・昭和56年(拡幅部)
山王橋は旧地名の下堀川町・正木町と西古渡の間に架けられた橋です。明治34年(1901年)の創設で
大正3年(1914年)、昭和33年(1958年)に改築され、同56年(1981年)に拡幅され今日の
姿となっています。
藩政時代、日置橋から古渡橋にかけての地域は東岸は大道寺玄藩をはじめ尾張藩の重臣の屋敷や控地が連なり
その間に材木置き場がおかれていました。
また西岸には竹腰家の蔵屋敷など、これも重臣の控屋敷のあった地域であったそうです。
このため明治になると空地が多かったこともあって、白鳥貯木場の入札による材木の払い下げが行われるようになり
この地域が木曽材取引の中心なっていきました。川岸は材木の集積場となり、それにつれて製材工場が立ち並び
製材・製函工場が盛んに立てられました。
またマニアアックポイントを集めたら第2弾を掲載します!!
@堀川まちづくりの会事務局(河川計画課:松本)