堀川紀行① 庄内用水元杁樋門
- 2014/04/24
- 15:27
思いつき企画 シリーズもの第2弾
「堀川紀行①」です。
今日、ご紹介するのは堀川の原点ともいえる「庄内用水元杁樋門」です。

いきなりマニアアックな視点から撮影してしまいましたね。
全景はこんな感じです。

場所は庄内川の「庄内用水頭首工」付近になります。

堀川(黒川)の出発点ですね。
この元杁樋門は庄内用水から水を取り農業用水を得るために明治34年に改築された樋門で壁・転用は切り石積みで
護岸は「人造石工法」で作られています。
「人造石工法」って何?と思われた方のためにちょっと解説させていただきますと
日本では昔から土間などで見られる土を固める技法のことを「たたき」と呼んでいましたが、
明治になるといわゆるセメントが輸入されるようになり工事は楽になりました。が、、しかし
セメントは、まだまだ非常に高価なものでした。
そこで愛知県碧南市生まれの たたき職人「服部長七」という人物が、明治9年に「たたき」に改良を加え
「消石灰」に大量の「風化花崗岩」を加えてさらに砂を入れて石と交互に積んで突き固めることによって
コンクリートにも負けない工法を発明し、大規模な土木構造物に利用できる「人造石工法」を完成させたのです。
この工法は三河・尾張地方で大量かつ安価で手に入れることができたため、広く普及したとのことです。
愛知県でも明治から大正まで土木部がこの工法を正式採用し当時ではメジャーな工法として広がりました。
この工法を大規模に使用した例として明治29年に執行された「熱田港(現:名古屋港)」築港工事があるそうです。
ちなみにこの樋門は「人造石工法」で作られた産業構造物は名古屋市内で唯一現存するものなのです。
現在は稼働せず固定された状態となっています。手で回す構造だったようですね。

うーんレトロ&クラッシック、、、、。
ちょっと近くに寄ってみましょう。。

普段はみれない樋門の中
ちなみにこのエリアは危険なためフェンスの中には通常は入れません。

こんな感じで水が流れています。近づくとやはり涼しい!!

堀川のスタート地点です。

ここから全てがはじまります。
@堀川まちづくりの会事務局(河川計画課:松本)
「堀川紀行①」です。
今日、ご紹介するのは堀川の原点ともいえる「庄内用水元杁樋門」です。

いきなりマニアアックな視点から撮影してしまいましたね。
全景はこんな感じです。

場所は庄内川の「庄内用水頭首工」付近になります。

堀川(黒川)の出発点ですね。
この元杁樋門は庄内用水から水を取り農業用水を得るために明治34年に改築された樋門で壁・転用は切り石積みで
護岸は「人造石工法」で作られています。
「人造石工法」って何?と思われた方のためにちょっと解説させていただきますと
日本では昔から土間などで見られる土を固める技法のことを「たたき」と呼んでいましたが、
明治になるといわゆるセメントが輸入されるようになり工事は楽になりました。が、、しかし
セメントは、まだまだ非常に高価なものでした。
そこで愛知県碧南市生まれの たたき職人「服部長七」という人物が、明治9年に「たたき」に改良を加え
「消石灰」に大量の「風化花崗岩」を加えてさらに砂を入れて石と交互に積んで突き固めることによって
コンクリートにも負けない工法を発明し、大規模な土木構造物に利用できる「人造石工法」を完成させたのです。
この工法は三河・尾張地方で大量かつ安価で手に入れることができたため、広く普及したとのことです。
愛知県でも明治から大正まで土木部がこの工法を正式採用し当時ではメジャーな工法として広がりました。
この工法を大規模に使用した例として明治29年に執行された「熱田港(現:名古屋港)」築港工事があるそうです。
ちなみにこの樋門は「人造石工法」で作られた産業構造物は名古屋市内で唯一現存するものなのです。
現在は稼働せず固定された状態となっています。手で回す構造だったようですね。

うーんレトロ&クラッシック、、、、。
ちょっと近くに寄ってみましょう。。

普段はみれない樋門の中
ちなみにこのエリアは危険なためフェンスの中には通常は入れません。

こんな感じで水が流れています。近づくとやはり涼しい!!

堀川のスタート地点です。

ここから全てがはじまります。
@堀川まちづくりの会事務局(河川計画課:松本)