松尾会長インタビュー
- 2014/03/04
- 22:19

情報を共有し、話し合いながらビジョンを策定
この度、『堀川まちづくりの会』の会長に就任しました。堀川については、すでに色々な団体が作られていて、それぞれに独自の目的をもって活動されています。そうした状況の中で、新しく『堀川まちづくりの会』が発足しましたので、正直、「何をする会なの?」と疑問に思われる方も多いかもしれません。
『堀川まちづくりの会』をスタートさせるにあたっては、あらかじめきちんとした堀川まちづくりビジョンを作っておこうという考え方もあったかと思います。しかし、私たち以前にも堀川にかかわっておられる沢山の団体などがおられるわけですから、まずはそうした皆さんと情報を共有し、情報を交換しながら、堀川のまちづくりに向かって皆さんとのゆるやかな連携がつくり出された時、皆さんと一緒になってビジョンを策定すればよいのではないかと思いました。
分かり易く言えば、「この指とまれ」方式で、できると思った方たちが賛同し、参加いただくことで、輪が広がっていく、そんな活動方法です。したがって、当面『堀川まちづくりの会』がやっていくべきことは、情報の共有と交換、そして会のことを分かり易くご理解いただく情報発信であると考えています。
堀川にできることの役割分担を考える
『堀川まちづくりの会』には、名古屋市や名古屋観光コンベンションビューロー、名古屋港管理組合といった行政の方たちも参加されておられます。今後、堀川に対して色々なことをやっていこうとすれば、まずは「会として何ができるか」という役割をしっかりと考えていかなくてはと思っています。
たとえば、堀川の護岸整備とか水質改善などといったハードは行政の方たちでしかできないことですが、その一方で、行政ではできなくて、市民が主体となっている『堀川まちづくりの会』だからできることも数多くあるわけです。そうした、できること、できないことの役割分担をしっかりと考えながら、堀川に対する共通の意識を醸成していくことも大変に重要だと考えています。
400年の歴史・文化を持つ堀川の復活と再生
堀川の素晴らしい点は、400年にわたって名古屋の人々に憩いと楽しみを与えてくれた『にぎわいの場』であったということです。もともとは、名古屋のまちが発展していくための運河機能を持つ川であったのですが、人々が集い、楽しむ水辺機能が加わることで、堀川独自の歴史や文化が築かれていきました。
しかし、第2次世界大戦後は、残念ながら、雨水と汚水を流すだけのまるで下水路のような川へと化してしまいました。そんな川であれば、人間の心理として当然のことですが、人々は堀川に背を向けるようになり、やがては堀川と言う川の存在すら無視するようになってしまいました。
そうした堀川を取り戻すために、何をすればよいのかと言いますと、かつては持っていた〝人々が集う水辺機能〟を再生・復活することです。そのためには、まずは堀川の水質を改善しなくてはなりません。人々を「近づきたい」という気にさせるには、きれいな川であることが必須条件となります。と同時に、人々が安心して「近づける」川であることも大切です。それには、護岸改修と治水が欠かせません。堀川にはいつ崩れてもおかしくない護岸がいくつかあります。
つまり、安全性が確保された水のきれいな川となることで、初めて〝人々が集う水辺機能〟が整うということです。幸いにして堀川には、素晴らしい水辺機能を発揮した400年の歴史と文化があります。したがって、全くのゼロからそれまでになかった新しいものをつくり出すというわけではなく、400年の歴史と文化に学びながら〝堀川の復活と再生〟を進めていけばよいという非常に恵まれた条件が整っています。
大阪では道頓堀川が、東京では川と一体となった日本橋周辺のまちづくりというように、都市の魅力を向上させるための「都市河川の復活」が盛んとなっています。その意味でも、堀川と一体となった人とまちづくりには大きな期待が寄せられています。

川好きが高じて、河川工学の道に
少年時代は名古屋市の北区に住んでいました。家から近いのは、矢田川でしたが、当時は上流から陶土が混じった水が流れてくる白濁した川でしたので、庄内川まで行って釣りや水泳をして遊んでいました。また、親戚の家が岐阜県の長良川の近くにあったものですから、夏休みになると長良川で泳いでいました。
京都大学では、水道工学の講座をとりましたが、水源の調査ということで、六甲山から流れる神戸の川をあちこちと見て回っていました。もともと川に行くのも、見るのも、入るのも好きという川好きですから、大変に楽しかった。そんなこともありましたので、大学の助手として河川工学研究室に入ることになったときはうれしく思いました。そこでは、ダム湖の水理水質の解析を研究テーマにしました。しかし、年をとるにしたがってダム湖からだんだんと下流に行くようになってきました。今では堀川にもかかわるようになりましたから、ついに河口にまで達してしまいました。
好きな言葉は「初心」謙虚な気持ちを忘れることなく
川も好きですが、もう一つ大好きなことがあります。野球です。小学校4年生のときに野球部に入りまして、以後、大学を卒業するまでやりました。助手時代には、京大野球部の監督をやりましたし、中部大学に来ても25年間部長を務めさせていただきました。今年は中部大学の創立50年になりますから、野球部にはぜひ優勝してもらいたいと願っています。実力も十分ありますから、夢ではないと思っています。することもですが、見るのも好きですから、プロ野球も熱心に見ています。もちろん、中日ドラゴンズのファンです。
座右の銘というほどではありませんが、よく使う言葉は「初心」です。「初心に帰れ」とか「初心忘るべからず」は、よく口にします。
何事もそうですが、一番初めに何かをするときには、知的な好奇心とかワクワクするような期待感がある一方で、先が見えず手探り状態で進んで行くわけですから、物事に対する謙虚な気持ちも欠かせません。
堀川まちづくりの会でも、常に初心を忘れることなく、皆さんと一緒に楽しくやっていけたらと思います。