堀川マニアックスポット② 構造物マニア必見
- 2014/05/02
- 11:43
マニアックスポットまさかの第2弾です。
今回も道路からではあまり見ることのできない光景をご紹介します。
さて、問題です。これはなんでしょう?

これだけで何の構造物かわかる人はかなりの重傷堀川マニアです。
もう少し離れてみましょうか。

これならわかりますね。
え?わからない?

これならわかりますね!
そうです。
答えは堀川口防潮水門です。場所は名古屋市港区千鳥・東築地町。
平常時は解放され船の航行は自由となっています。
左に見える白い建物は堀川口防潮水門ポンプ所です。
この施設は名古屋港管理組合さんの管理する建物です。
あの伊勢湾台風(1959年)来襲時、その高潮により堀川沿岸も甚大な被害を受けました。
そこで堀川の高潮対策として建設が決定され、堀川の高潮対策を担っています。
この堀川口防潮水門は、堀川と名古屋港のちょうど境になっていて
まさに堀川の「終点」です。
この防潮水門は東海地方で五千人余りの死者・行方不明者を出した伊勢湾台風から
昭和39年に完成されました。
伊勢湾台風では、堀川にあった大量の貯木場の材木が人家を破壊し、凶器となって人々を下敷きに
してしまったという悲しい過去があります。材木1本は数tもあったというからひとたまりも
なかったでしょう、、、。
流れた材木の総量は約25万tともいわれています。
その後、その教訓をもとに弥富町・飛島村エリアに貯木場が大移動していきました。
ちなみに、当時日本一の規模を誇る材木専用港「西部木材港」は昭和38年に着工し
56年に完成しましたが建設途中にオイルショックに見舞われたため
木材業界の景気は後退し木材そのものの取り扱い量が落ち込んでしまいました。
伊勢湾台風の「あの日」以降、堀川と名古屋港を分ける堀川口防潮水門



河口にたたずんで今日も名古屋市民の安全を見守っています。
第3弾もやります。お楽しみに。
会員皆様の投稿もお待ちしております!
@堀川まちづくりの会事務局(河川計画課:松本)
今回も道路からではあまり見ることのできない光景をご紹介します。
さて、問題です。これはなんでしょう?

これだけで何の構造物かわかる人はかなりの
もう少し離れてみましょうか。

これならわかりますね。
え?わからない?

これならわかりますね!
そうです。
答えは堀川口防潮水門です。場所は名古屋市港区千鳥・東築地町。
平常時は解放され船の航行は自由となっています。
左に見える白い建物は堀川口防潮水門ポンプ所です。
この施設は名古屋港管理組合さんの管理する建物です。
あの伊勢湾台風(1959年)来襲時、その高潮により堀川沿岸も甚大な被害を受けました。
そこで堀川の高潮対策として建設が決定され、堀川の高潮対策を担っています。
この堀川口防潮水門は、堀川と名古屋港のちょうど境になっていて
まさに堀川の「終点」です。
この防潮水門は東海地方で五千人余りの死者・行方不明者を出した伊勢湾台風から
昭和39年に完成されました。
伊勢湾台風では、堀川にあった大量の貯木場の材木が人家を破壊し、凶器となって人々を下敷きに
してしまったという悲しい過去があります。材木1本は数tもあったというからひとたまりも
なかったでしょう、、、。
流れた材木の総量は約25万tともいわれています。
その後、その教訓をもとに弥富町・飛島村エリアに貯木場が大移動していきました。
ちなみに、当時日本一の規模を誇る材木専用港「西部木材港」は昭和38年に着工し
56年に完成しましたが建設途中にオイルショックに見舞われたため
木材業界の景気は後退し木材そのものの取り扱い量が落ち込んでしまいました。
伊勢湾台風の「あの日」以降、堀川と名古屋港を分ける堀川口防潮水門



河口にたたずんで今日も名古屋市民の安全を見守っています。
第3弾もやります。お楽しみに。
会員皆様の投稿もお待ちしております!
@堀川まちづくりの会事務局(河川計画課:松本)