魚半別邸訪問@NPO法人堀川まちネットさん拠点
- 2014/06/09
- 13:41
こんにちは堀川まちづくりの会事務局です。
今日は先週、ご訪問させていただいたNPO法人堀川まちネットの拠点でもある
魚半別邸のご紹介です。
NPO法人堀川まちネットの川口さんにご案内していただきました。
感謝です。

この魚半別邸は和館・洋館・煉瓦の蔵と3つそろえて
昭和・大正・明治を同時にみることができるまさに貴重なエリア。七里の渡「宮の渡し公園」もあるので
歴史情緒たっぷりです。
さて、まずは明治時代に建てられたという煉瓦づくりの蔵

「蔵」といえばもっと和テイストな建築物をイメージした方もいらっしゃるかもしれませんが、
明治時代に建てられたため、「煉瓦」で造られています。
これはめずらしい!!!

蔵の出入り口付近
伊勢湾台風で扉はもげてしまっているそうです。扉以外は台風や戦災にも耐えたということですよね、、、。
この建物はずっとこのあたりを見守ってきたのか。。。
今度は大正時代に建てられたRC造の洋館です。

なんだが川口さん楽しそう!この建物にホントに愛着があるんですね♪

金属製の鎧戸と手すり、、、鉄のアートワークが素敵です♪

しかし、本当のお楽しみはここから!
なんでしょう、この気になる秘密の地下扉、、、

えぇ、、、これは行くしかないでしょう?ねぇ川口さん。
扉をあけると、、、、

引っ越したばかりで、ちょっとまだ整理がついてないご様子ですが、、、よーく見てみると、、、

お風呂だ!(赤コーン右の辺りを注目)。地下にお風呂なんて!
しかも結構古い!(写真ではわかりづらくてすみません)
天井に目を向けるとガラス天井です。大正時代にこの細工はかなり贅沢なはず、、

うーんオシャレ、、ガラスを鉄枠で固めたのか、、リベットもみえますね。
室内です。

これは玄関を入ってすぐの場所ですが、写真下のほうに先ほどの地下お風呂の明かり窓がみえます。

どこからか「お父様?」などど言いながら大正モダンのお嬢様が出てきそうな雰囲気ですね。
妄想はさておき
続いて、昭和の時代へ


玄関に置いてある石、、、。
裏を見てみると
○がみっつ、、、。堀川まちネット川口さんのお話では 紀州藩浅野家の忘れ石ではないか?とのこと。

そうです。熱田区には名古屋城築城に運ばれていったお城の石が点在しています。
運ぶ際に落ちた石などが、縁起物として拾われていったものだそうです。
「落とした石」では何なので、「忘れ石」として各家で保存されているようですね。
中にも入れていただきました。


おや?これは?

川口さんの説明によるとGHQの撮影した熱田の空襲後の航空写真だそうです(本物)。
ちょっとこの写真ではわかりにくいですが目を凝らしてみると一部のエリアだけが焼失していません。
熱田空襲の惨状については市民の皆様も知るところですが、この魚半別邸のエリアだけは風向きや色々な条件が重なって難を免れることができたそうです。だから、この建物を平成の現在でも見ることができるのですね。
ちなみにこの魚半別邸の洋館・和館については名古屋市住宅都市局の施策(名古屋市歴史的風致維持向上計画)によって保存が推進されています。
熱田区では他にきよめ餅さん本社、賀城園(茶室)などが登録されているようです。
貴方は古い建物を見て何を想いますか?
魚半別邸/名古屋市熱田区大瀬子町
竣工:洋館/大正13年(1924)、和館/昭和3年(1928)
会員皆様の投稿もお待ちしております!
@堀川まちづくりの会事務局(河川計画課:松本)
*当ブログの写真は許可を得て撮影しております。
今日は先週、ご訪問させていただいたNPO法人堀川まちネットの拠点でもある
魚半別邸のご紹介です。
NPO法人堀川まちネットの川口さんにご案内していただきました。
感謝です。

この魚半別邸は和館・洋館・煉瓦の蔵と3つそろえて
昭和・大正・明治を同時にみることができるまさに貴重なエリア。七里の渡「宮の渡し公園」もあるので
歴史情緒たっぷりです。
さて、まずは明治時代に建てられたという煉瓦づくりの蔵

「蔵」といえばもっと和テイストな建築物をイメージした方もいらっしゃるかもしれませんが、
明治時代に建てられたため、「煉瓦」で造られています。
これはめずらしい!!!

蔵の出入り口付近
伊勢湾台風で扉はもげてしまっているそうです。扉以外は台風や戦災にも耐えたということですよね、、、。
この建物はずっとこのあたりを見守ってきたのか。。。
今度は大正時代に建てられたRC造の洋館です。

なんだが川口さん楽しそう!この建物にホントに愛着があるんですね♪

金属製の鎧戸と手すり、、、鉄のアートワークが素敵です♪

しかし、本当のお楽しみはここから!
なんでしょう、この気になる秘密の地下扉、、、

えぇ、、、これは行くしかないでしょう?ねぇ川口さん。
扉をあけると、、、、

引っ越したばかりで、ちょっとまだ整理がついてないご様子ですが、、、よーく見てみると、、、

お風呂だ!(赤コーン右の辺りを注目)。地下にお風呂なんて!
しかも結構古い!(写真ではわかりづらくてすみません)
天井に目を向けるとガラス天井です。大正時代にこの細工はかなり贅沢なはず、、

うーんオシャレ、、ガラスを鉄枠で固めたのか、、リベットもみえますね。
室内です。

これは玄関を入ってすぐの場所ですが、写真下のほうに先ほどの地下お風呂の明かり窓がみえます。

どこからか「お父様?」などど言いながら大正モダンのお嬢様が出てきそうな雰囲気ですね。
続いて、昭和の時代へ


玄関に置いてある石、、、。
裏を見てみると
○がみっつ、、、。堀川まちネット川口さんのお話では 紀州藩浅野家の忘れ石ではないか?とのこと。

そうです。熱田区には名古屋城築城に運ばれていったお城の石が点在しています。
運ぶ際に落ちた石などが、縁起物として拾われていったものだそうです。
「落とした石」では何なので、「忘れ石」として各家で保存されているようですね。
中にも入れていただきました。


おや?これは?

川口さんの説明によるとGHQの撮影した熱田の空襲後の航空写真だそうです(本物)。
ちょっとこの写真ではわかりにくいですが目を凝らしてみると一部のエリアだけが焼失していません。
熱田空襲の惨状については市民の皆様も知るところですが、この魚半別邸のエリアだけは風向きや色々な条件が重なって難を免れることができたそうです。だから、この建物を平成の現在でも見ることができるのですね。
ちなみにこの魚半別邸の洋館・和館については名古屋市住宅都市局の施策(名古屋市歴史的風致維持向上計画)によって保存が推進されています。
名古屋市都市景観条例 第 25 条の 2
市長は、一定の地域における都市景観の形成上、重要な歴史的又は文化的
価値があると認める建築物、工作物その他の物件を認定地域建造物資産とし
て認定することができる。
熱田区では他にきよめ餅さん本社、賀城園(茶室)などが登録されているようです。
貴方は古い建物を見て何を想いますか?
魚半別邸/名古屋市熱田区大瀬子町
竣工:洋館/大正13年(1924)、和館/昭和3年(1928)
会員皆様の投稿もお待ちしております!
@堀川まちづくりの会事務局(河川計画課:松本)
*当ブログの写真は許可を得て撮影しております。