堀川歴史探索⑤ 改修としゅんせつの歴史 @堀川まちづくりの会事務局(河川計画課)
- 2014/06/17
- 11:29
みなさんこんにちは。
6月も中盤をこえましたね。そろそろ夏がやってきそうな気配。
天気予報によると明日は雨みたいなので、梅雨はまだ続きそうですが。。。
開催の物語については堀川歴史探索③ 堀川の開削でご紹介したところですが
今日は、堀川歴史探索第5回として、過去に行われた堀川の改修としゅんせつの歴史をご紹介したいと思います。
堀川の開削当初の護岸は土のままで、必要に応じて地元の住民が木や竹で崩れるのを防いでいましたが、寛文3年(1663)に「石垣にする旨仰せ出された」との記録があり、その後部分的に護岸工事が行われたと思われます。
また、大幸川が堀川に接続された天明4年(1784)には「堀川のしゅんせつにつき仰せ出された」との記録があり、文化13年(1816)には住民からしゅんせつの請願が出され、天保7~8年(1836~1837)と嘉永2~3年(1849~1850)には住民により「冥加浚え」が行われました。

【参考】
名古屋堀川ライオンズクラブが、設立10周年記念事業として堀川狂言会を開催(H25.4.6)。
堀川ライオンズクラブHP

中心市街地に近い伝馬橋付近は石積み

こちらは江戸末期の護岸。天王崎橋付近は素掘りや板柵であったようです。
(『尾張名陽図会』『尾張名所図会』部分 市博物館・県図書館所蔵)
明治の文明開化後、名古屋が産業都市になるとともに、堀川の改修が大きな課題になりました。明治39年(1906)に愛知県議会で工期4年の改修工事が議決されており、昭和2年~14年(1927~1939)には西区朝日橋から名古屋港までの間で、しゅんせつ、護岸、係船設備、狭幅員部の拡幅が行われ、昭和6~8年(1931~1933)には、北区大幸川合流点から西区朝日橋までの間で、しゅんせつと護岸の築造等が行われました。また、昭和36~39年(1961~1964)には昭和34年(1959)の伊勢湾台風の高潮被害を踏まえ、堀川河口部に防潮水門がつくられました。【参考】堀川マニアックスポット② 構造物マニア必見
老朽化した護岸

昭和初期につくられた矢板護岸が腐食してきている。
名古屋市では昭和61年(1986)から、市政100周年記念事業として河川改修に着手し、平成4年(1992)からは堀川を活かしたまちづくりを行うため、「マイタウン・マイリバー整備事業」として河川改修を進めています。
川底に堆積しているヘドロは、昭和40~57年度(1965~1982)に北区猿投橋から河口までの区間で30万㎥が除去され、その後平成6年度(1994)から堀川環境整備事業(ヘドロの除去)に着手し、平成20年度(2008)末までに13.8万㎥が除去されました。

ヘドロ浚渫の様子
カタチあるものはかならず朽ちていく。でも、堀川は朽ちていくわけにはいきません。
こうした地道な作業によって堀川は守られています。
@堀川まちづくりの会事務局(河川計画課:松本)
6月も中盤をこえましたね。そろそろ夏がやってきそうな気配。
天気予報によると明日は雨みたいなので、梅雨はまだ続きそうですが。。。

開催の物語については堀川歴史探索③ 堀川の開削でご紹介したところですが
今日は、堀川歴史探索第5回として、過去に行われた堀川の改修としゅんせつの歴史をご紹介したいと思います。
堀川の開削当初の護岸は土のままで、必要に応じて地元の住民が木や竹で崩れるのを防いでいましたが、寛文3年(1663)に「石垣にする旨仰せ出された」との記録があり、その後部分的に護岸工事が行われたと思われます。
また、大幸川が堀川に接続された天明4年(1784)には「堀川のしゅんせつにつき仰せ出された」との記録があり、文化13年(1816)には住民からしゅんせつの請願が出され、天保7~8年(1836~1837)と嘉永2~3年(1849~1850)には住民により「冥加浚え」が行われました。

【参考】
名古屋堀川ライオンズクラブが、設立10周年記念事業として堀川狂言会を開催(H25.4.6)。
堀川ライオンズクラブHP

中心市街地に近い伝馬橋付近は石積み

こちらは江戸末期の護岸。天王崎橋付近は素掘りや板柵であったようです。
(『尾張名陽図会』『尾張名所図会』部分 市博物館・県図書館所蔵)
明治の文明開化後、名古屋が産業都市になるとともに、堀川の改修が大きな課題になりました。明治39年(1906)に愛知県議会で工期4年の改修工事が議決されており、昭和2年~14年(1927~1939)には西区朝日橋から名古屋港までの間で、しゅんせつ、護岸、係船設備、狭幅員部の拡幅が行われ、昭和6~8年(1931~1933)には、北区大幸川合流点から西区朝日橋までの間で、しゅんせつと護岸の築造等が行われました。また、昭和36~39年(1961~1964)には昭和34年(1959)の伊勢湾台風の高潮被害を踏まえ、堀川河口部に防潮水門がつくられました。【参考】堀川マニアックスポット② 構造物マニア必見
老朽化した護岸

昭和初期につくられた矢板護岸が腐食してきている。
名古屋市では昭和61年(1986)から、市政100周年記念事業として河川改修に着手し、平成4年(1992)からは堀川を活かしたまちづくりを行うため、「マイタウン・マイリバー整備事業」として河川改修を進めています。
川底に堆積しているヘドロは、昭和40~57年度(1965~1982)に北区猿投橋から河口までの区間で30万㎥が除去され、その後平成6年度(1994)から堀川環境整備事業(ヘドロの除去)に着手し、平成20年度(2008)末までに13.8万㎥が除去されました。

ヘドロ浚渫の様子
カタチあるものはかならず朽ちていく。でも、堀川は朽ちていくわけにはいきません。
こうした地道な作業によって堀川は守られています。
@堀川まちづくりの会事務局(河川計画課:松本)