堀川七橋~五条橋
- 2014/08/01
- 17:18
今日も暑かったですね。
江戸時代の四大飢饉は一説に冷夏が原因と言われていました。
寛永の大飢饉、享保の大飢饉、天明の大飢饉、天保の大飢饉は、今よりもはるかに異常な天候が続いていて、江戸時代は全期を通じて寒冷な時代であったそうです。
きっと当時の人は温暖化を望んでいたことでしょう。
「子供、孫の世代には温暖な気候になりますように!」
願いが叶っているというのに。まったく人間とは欲深い生き物ですね。
さて、「堀川マニアックシリーズ」もさることながら、肝心な堀川七橋のご紹介がまだでしたので、
堀川を代表する七橋のご紹介をシリーズ化してご案内していきたいと思います。
堀川の一番上流に架かる橋「五条橋」

五条橋は円頓寺に通じる橋で、京町どおりの西にかかり、もともと斯波氏が清州に在城のこと、五条川にかけられていた橋を五条橋といい、その城門に通じていたことから御城橋と言われたり、そのかけられた土地が上畠であったことから、上畠橋とも呼ばれていたそうです。慶長15年(1610)清州越えの際に同じ名前にしたといわれています。
擬宝珠の銘に「五条橋慶長7年千寅6月吉日」とあって、松平忠吉の築造したものだともいわれています。

(五条橋より上流を望む)
橋は明治34年(1901)に改築され、さらに昭和13年(1938)に現在のコンクリート橋に架けかえられました。
そのときに擬宝珠は貴重なものとして取り外されて、今は名古屋城の天守閣に保存されています。

五条橋東岸の木挽町は、築城のときに木挽が小屋掛けして仕事をしていたところで、後に、全町すべてが、材木商の集団地域になったといわれています。

五条橋東岸は、戦災をまぬがれ、城下町としての名残りをとどめている数少ない土地のひとつとなっています。

東側は片端橋(外堀通)の一本南の京町筋で西側は美濃街道が南北に通っています。
絢爛な名古屋城や繁華な城下を見物したい旅人は、五条橋を渡って碁盤割の街中へ入っていったことでしょう。

橋から少し足を運ぶと、そこには円頓寺商店街があります。

七夕まつりのようですね。すこし散策してみましょう。



円頓寺七夕まつりは8月3日の日曜日までのようです。
まだ、行かれていないかたは風情あるこのまつりに足を運んでみてはいかがでしょうか。

現在においても人を渡し続ける五条橋。
朝鮮通信使や将軍に献上された象が通ったのもこの橋だといわれています。
平成の現在においても、人通りは絶えることはありません。
幾人の人間や物がこの橋を渡っていったのでしょうね。

【五条橋】
西区那古野1丁目と中区丸の内1丁目の間
橋長:26.8m
幅員:8.2m
型式:RCラーメン橋
架設年:昭和13年
@堀川まちづくりの会事務局(河川計画課:松本)
江戸時代の四大飢饉は一説に冷夏が原因と言われていました。
寛永の大飢饉、享保の大飢饉、天明の大飢饉、天保の大飢饉は、今よりもはるかに異常な天候が続いていて、江戸時代は全期を通じて寒冷な時代であったそうです。
きっと当時の人は温暖化を望んでいたことでしょう。
「子供、孫の世代には温暖な気候になりますように!」
願いが叶っているというのに。まったく人間とは欲深い生き物ですね。
さて、「堀川マニアックシリーズ」もさることながら、肝心な堀川七橋のご紹介がまだでしたので、
堀川を代表する七橋のご紹介をシリーズ化してご案内していきたいと思います。
堀川の一番上流に架かる橋「五条橋」

五条橋は円頓寺に通じる橋で、京町どおりの西にかかり、もともと斯波氏が清州に在城のこと、五条川にかけられていた橋を五条橋といい、その城門に通じていたことから御城橋と言われたり、そのかけられた土地が上畠であったことから、上畠橋とも呼ばれていたそうです。慶長15年(1610)清州越えの際に同じ名前にしたといわれています。
擬宝珠の銘に「五条橋慶長7年千寅6月吉日」とあって、松平忠吉の築造したものだともいわれています。

(五条橋より上流を望む)
橋は明治34年(1901)に改築され、さらに昭和13年(1938)に現在のコンクリート橋に架けかえられました。
そのときに擬宝珠は貴重なものとして取り外されて、今は名古屋城の天守閣に保存されています。

五条橋東岸の木挽町は、築城のときに木挽が小屋掛けして仕事をしていたところで、後に、全町すべてが、材木商の集団地域になったといわれています。

五条橋東岸は、戦災をまぬがれ、城下町としての名残りをとどめている数少ない土地のひとつとなっています。

東側は片端橋(外堀通)の一本南の京町筋で西側は美濃街道が南北に通っています。
絢爛な名古屋城や繁華な城下を見物したい旅人は、五条橋を渡って碁盤割の街中へ入っていったことでしょう。

橋から少し足を運ぶと、そこには円頓寺商店街があります。

七夕まつりのようですね。すこし散策してみましょう。



円頓寺七夕まつりは8月3日の日曜日までのようです。
まだ、行かれていないかたは風情あるこのまつりに足を運んでみてはいかがでしょうか。

現在においても人を渡し続ける五条橋。
朝鮮通信使や将軍に献上された象が通ったのもこの橋だといわれています。
平成の現在においても、人通りは絶えることはありません。
幾人の人間や物がこの橋を渡っていったのでしょうね。

【五条橋】
西区那古野1丁目と中区丸の内1丁目の間
橋長:26.8m
幅員:8.2m
型式:RCラーメン橋
架設年:昭和13年
@堀川まちづくりの会事務局(河川計画課:松本)