堀川日置橋の橋名板が完成しました!
- 2014/03/25
- 11:56
堀川7橋のひとつ 日置橋の橋名板が設置されました!

日置橋は桜の名所であったことから 桜を施した橋名板になっています。

「堀川花盛」 『名古屋名所団扇絵集』より
江戸時代、名古屋宿も春には堀川沿いに桜が咲き春爛漫となりました。
桜が満開ともなると名古屋の人達が多く訪れていたそうです。
日置橋は堀川七橋のひとつですが、この橋界隈が有名になったのは1807年、御普請奉行の堀弥九郎が植えた桜と桃が咲き乱れて名所となったことがきっかけと言われています。
翌年には早くも堀川沿いに、桜を愛でるために人々が集まり、水辺には茶屋・料理屋・菓子屋など20軒あまりの店が軒
を連ね、天王崎界隈からは、渡し船が出て花見船などと粋な風景もみられたとか。
この花見の行事は1874年(明治7年)まで続いていたそうです。
67年間も市民を楽しませてくれていたのですね。
現在の日置橋は昭和13年にできたもので、擬宝珠(ぎぼし)がついています。
平行して欄干がありますが、これは歩行者用に新しくつくられたものです。
今では当時を偲んで堀川ライオンズクラブさんから寄附していただいた桜が川辺で育っています。


この橋名板、実は川を利用する人がみるための看板となっています。

船で橋の下を通過するときに、どこの橋を通過しているのかわかるように設置されているのです。
これで堀川を初めて船で来る人にも 堀川のどこかがわかるかな?

@堀川まちづくりの会事務局(河川計画課)

日置橋は桜の名所であったことから 桜を施した橋名板になっています。

「堀川花盛」 『名古屋名所団扇絵集』より
江戸時代、名古屋宿も春には堀川沿いに桜が咲き春爛漫となりました。
桜が満開ともなると名古屋の人達が多く訪れていたそうです。
日置橋は堀川七橋のひとつですが、この橋界隈が有名になったのは1807年、御普請奉行の堀弥九郎が植えた桜と桃が咲き乱れて名所となったことがきっかけと言われています。
翌年には早くも堀川沿いに、桜を愛でるために人々が集まり、水辺には茶屋・料理屋・菓子屋など20軒あまりの店が軒
を連ね、天王崎界隈からは、渡し船が出て花見船などと粋な風景もみられたとか。
この花見の行事は1874年(明治7年)まで続いていたそうです。
67年間も市民を楽しませてくれていたのですね。
現在の日置橋は昭和13年にできたもので、擬宝珠(ぎぼし)がついています。
平行して欄干がありますが、これは歩行者用に新しくつくられたものです。
今では当時を偲んで堀川ライオンズクラブさんから寄附していただいた桜が川辺で育っています。


この橋名板、実は川を利用する人がみるための看板となっています。

船で橋の下を通過するときに、どこの橋を通過しているのかわかるように設置されているのです。
これで堀川を初めて船で来る人にも 堀川のどこかがわかるかな?

@堀川まちづくりの会事務局(河川計画課)